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医学部=勉強漬けは嘘?「テスト前は地獄だけど今が一番楽しい」現役医学生が語るリアルな幸福度

こんにちは!
大分大学医学部医学科の西園と申します!私は最初は九州大学の医学科を目指していたのですが、最終的には高校3年生で推薦入試の存在を知り、大分大学医学部医学科の総合型選抜を受験して、現役で合格することができました。本日はよろしくお願いいたします。

今日はこんなことを書きたいと思います。 一般的に「医学部に入るような人は、幼い頃からガリ勉で、中高時代は一切の遊びを断ち切って勉強し、大学に入ってからも分厚い医学書に埋もれて地獄のような勉強漬けの毎日を送っている」と言われている常識に対する、私なりの疑問と新しい視点についてです。そして、実家が農家で毎日カブトムシを追いかけていた私が、コロナ禍で1日中ゲームをしてしまうような中だるみの高校生活を経て、どのように受験のプレッシャーを乗り越え、現在は大分大学の「救命サークル」で全国を飛び回りながら「今が一番楽しい」と心から言える大学生活を送っているのかというリアルなストーリーをお話しします。さらに、受験の先が見えなくて苦しい時期をどう捉え直すかについても、小見出しをつけながらたっぷりと語っていきたいと考えています。

今、果てしなく高い医学部の壁を前にして、毎日机に向かっている中高生の皆さん。そして、朝から晩まで予備校の自習室にこもり、「この苦しい生活が終わっても、医学部に入ったらもっとしんどい勉強が待っているのではないか」と見えない恐怖に不安を抱きながら浪人生活や再受験に挑んでいる社会人や浪人生の皆さん。

「親や先生からは『今頑張れば後が楽になる』と言われるけれど、医学部の先輩たちを見るとみんなテスト前は死にそうになっていて、全然楽しそうに見えなくてモチベーションが下がってしまう」 「中高一貫校に入ったはいいものの、高校生になってから急にやる気がなくなってしまい、周りが優秀な人ばかりで自分だけが取り残されているような自己嫌悪に陥ってしまう」 「模試の偏差値が思うように伸びず、来年の春に自分がどこで何をしているのか全く想像できなくて、夜寝る前に強烈な不安に襲われる」 そんな風に思い悩んでしまうこと、ありますよね。そのお気持ち、私には痛いほどよく分かります。私も、高校時代は中だるみでゲームばかりしていましたし、高校3年生になってからは「来年のビジョンが全く見えない」という暗闇の中で、点数が伸びない焦りに押しつぶされそうになっていたごく普通の高校生だったからです。

しかし、私がどん底の不安から大分大学医学科に合格し、今の充実した生活を手に入れるまでの道のりを振り返ってみると、決して「生まれつき勉強のモチベーションが無限に湧き出てくるような超人だったから」でも「医学部に入れば自動的にバラ色のキャンパスライフが待っているから」でもないという真実が見えてきます。今日は、皆さんが心の中に抱えている「医学部は勉強ばかりでつまらないのではないか」「今の成績で間に合うのだろうか」という深い不安に優しく寄り添いながら、明日からの受験勉強が少しでも前向きになるような、そして心がスッと軽くなるようなヒントを、私のリアルな経験を交えてお話しさせていただきます。

目次

カブトムシと計算ドリル。知的好奇心のルーツ

農家の長男としてのびのび育った幼少期

医学部を目指す家庭というと、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。 おそらく、ご両親がお医者様であったり、幼い頃から厳格な教育方針のもとで英才教育を受けたりしているような家庭を想像する人が多いのではないかと思います。 しかし、私の家庭環境はそういったイメージとは少し違っていました。

私の実家は農家をやっており、父親は一応医療関係の仕事には就いていたものの、医師とは全く無縁の世界でした。 家の周りには田んぼが広がり、山の方にも土地を持っていました。 そんな自然豊かな環境で育った私は、小学生の頃は夏休みになると毎日のように虫取り網と虫かごを両手に持ち、カブトムシを探しに山に入ったり、川で魚を捕まえたりして、泥だらけになって遊んでいました。 塾に缶詰になって勉強するような生活とは程遠く、本当にのびのびと、ある意味で自由奔放に育ててもらったと思います。

「とはいえ」、親が教育に全く無関心だったわけではありません。 むしろ、私の「知的好奇心」をうまく刺激し、育ててくれるようなとても素晴らしい環境を用意してくれていました。 例えば、幼稚園の頃、父親が私に計算ドリルを買い与えてくれました。 「これをやりなさい」と強制するのではなく、私がゲーム感覚で問題を解くと、「すごいね!こんなに早く解けたの!」と大げさなほどに褒めてくれたのです。 子供というのは単純なもので、褒められると「もっとやりたい!もっと褒められたい!」と思うようになります。 そのおかげで、私は「勉強=辛いもの」ではなく「勉強=褒められて楽しいもの」という感覚を、ごく自然な形で身につけることができたのです。

小学生議会と、親の巧みな誘導

また、私の親は、私が興味を持ちそうな様々なイベントに積極的に連れて行ってくれました。 その中の一つに、地元の市が開催している「小学生議会」というものがありました。 本物の市議会の議場に小学生が座り、市長や大人たちに向かって市政に関する質問や提案をするという、とても本格的なイベントです。 カブトムシを追いかけていた少年が、いきなりネクタイを締めてマイクの前に立ち、大人の社会の仕組みに触れる。 この経験は、私の世界を大きく広げ、社会に対する知的好奇心を強烈に刺激してくれました。

勉強に関しても、強制された記憶はほとんどありません。 「ここに行きなさい」と命令されるのではなく、色々な選択肢を見せてもらいながら、最終的には「自分がやりたいからやる」という形になるように、親がうまい具合に誘導してくれていたのだと今になって思います。 そのおかげで、私は小学校でも成績はトップクラスを維持することができ、勉強に対して前向きな姿勢を持ち続けることができたのです。

新設校への挑戦と、個性豊かな中学時代

4期生というワクワク感

私が小学校の時に、地元に比較的新しい中学校が設立されました。 私がちょうど4期生になるくらいのタイミングでした。 普通なら地元の公立中学校にそのまま進学する人が多い中で、私は「新しくて面白そうな学校だな」と強い興味を持ちました。 親に勧められたというよりも、自分自身の知的好奇心から「あの中学校に行ってみたい」と言い出したのを覚えています。

そこから、小学校6年生の夏休みくらいになって、ようやく本格的な中学受験の準備として塾に通い始めました。 過去問の対策などを短期集中でこなし、無事にその中学校に入学することができたのです。 この時も、「親に無理やり受験させられた」という感覚はなく、自分の意思で選んだ道を歩んでいるという前向きな気持ちでいっぱいでした。

勉強だけじゃない。面白いやつらが集まる環境

中学受験を突破してきた生徒たちが集まる学校ですから、当然みんな勉強への意識は高いです。 私の学年は1クラス40人で、それが2クラス、合計80人という比較的小規模な環境でした。

世間一般では、「受験エリートが集まる中学校は、みんなガリ勉でギスギスしているのではないか」と思われがちです。 しかし、私が実際に飛び込んだ環境は、全くそんなことはありませんでした。 確かにめちゃくちゃ勉強ができる天才肌のやつもいましたが、それ以上に「個性の塊」のような面白いやつらがたくさんいたのです。

ものすごく話が面白くてクラスのムードメーカーになっているやつ。 四六時中ゲームの話ばかりしているやつ。 先生にしょっちゅう怒られてばかりいるけれど、どこか憎めないやつ。 活発な人もいれば控えめな人もいて、本当に多種多様な人間が集まっていました。

私自身はというと、成績は学年で10番から20番くらいの間をうろうろしているような、ごく普通の立ち位置でした。 「絶対に1番を取ってやる!」と血眼になるようなタイプではなく、「上には上がいるから、5番以内に入るのは無理だな」と冷静に自分の位置を把握しつつ、マイペースに勉強をこなしていました。 生徒会活動などにも参加し、本当に充実した、最高に楽しい中学校生活を送ることができました。 この時期の私の人生の幸福度は、間違いなくグラフの上の方に位置していたと思います。

高校での中だるみと、偏差値のカラクリ

持ち上がりの罠と、コロナ禍のゲーム生活

「とはいえ」、そんな充実した日々も、高校生になると少し様子が変わってきました。 私の中学校は中高一貫校だったため、高校受験という大きな壁を経験することなく、そのままエスカレーター式に高校へと進学しました。 これが、私から勉強に対するモチベーションを奪い去る一つの原因となってしまいました。

中学校の時は、新しい環境で、新しい仲間と様々なことに挑戦できる新鮮さがありました。 しかし、高校に持ち上がると、周りの顔ぶれもほとんど変わらず、大きな環境の変化がありません。 「このままでいいのかな」というような、言葉にできない中だるみの状態に陥ってしまったのです。 振り返ってみても、高校1年生から2年生の初め頃にかけては、これといった熱い思い出が思い浮かびません。

さらに追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスの流行でした。 学校が休校になり、家から出られない日々が続きました。 目標を見失っていた私は、この休校期間中、1日中ゲームをして過ごすという絵に描いたような堕落した生活を送ってしまいました。 定期テストの前だけはなんとか一夜漬けで勉強して点数を取るものの、それ以外の日はほとんど机に向かわない。 医学部を目指す高校生としては、非常に危険な状態だったと思います。

跳ね上がる偏差値という恐ろしい錯覚

そんな中だるみの状態で、なぜ私は極度の焦りを感じなかったのでしょうか。 そこには、中高一貫校特有の「偏差値のカラクリ」が隠されていました。

中学校の時に受けていた模試は、主に同じように中学受験を突破してきたレベルの高い生徒たちだけが受けるものでした。 その集団の中で、私の偏差値はだいたい65くらいでした。 しかし、高校生になって受ける全国規模の模試になると、高校受験を経て入ってきた地元の公立高校の生徒たちなど、非常に幅広い層の人たちが一斉に参加するようになります。

するとどうなるか。母集団のレベルが平均化されるため、私の成績自体は何も変わっていない、むしろサボって落ちているくらいなのに、模試の偏差値だけは「75」くらいにポーンと跳ね上がって表示されてしまうのです。 この数字のマジックが、私に恐ろしい錯覚を抱かせました。 「あれ?俺、あんまり勉強してないのに偏差値75もあるじゃん。このままでも医学部に行けるんじゃないか?」

数字だけを見て安心しきってしまい、危機感を持つ機会を完全に逃してしまったのです。 刺激がないと、人間はどこまでもだらけてしまう生き物です。 もし皆さんが今、模試の判定が良くて安心しているとしたら、その数字が本当に自分の実力を正確に表しているのか、母集団が変わったことによる錯覚ではないか、一度冷静に疑ってみることをお勧めします。

医学部への決意と、見えない未来への恐怖

友達の一言で決まった医学部志望

そもそも、私が医学部を目指し始めたのは、中学校が終わるくらいの頃でした。 先ほどお話ししたように、15歳、16歳くらいになると、周りの優秀な友達が少しずつ将来の進路について話し始めます。

ある日、仲の良かった友達が「俺、医学部に行こうかなって思ってるんだよね」と何気なく言いました。 それまで明確な将来の夢を持っていなかった私は、その言葉を聞いて「お、医者か。なんかかっこいいな。じゃあ僕も医学部を目指してみようかな」と、本当にその程度の軽い気持ちで医学部志望を決めました。 テレビドラマのような「幼い頃に命を救われて…」といった劇的なエピソードがあったわけではありません。 ただ、知的好奇心が旺盛だったことと、優秀な友人に影響されたことが大きな理由でした。

共通テスト同日模試での絶望

しかし、そんな軽い気持ちで乗り切れるほど、医学部受験は甘いものではありません。 高校2年生の冬、私は受験生が本番で受けるのと同じ問題を解く「共通テスト同日模試」を受けました。 そこで突きつけられた点数は、医学部合格には到底届かない、非常に厳しいものでした。

ここでようやく、私は自分が置かれている危機的状況に気がつきました。 「やばい。このままでは絶対に落ちる。」 そこから、私は東進ハイスクールに通い始め、本気の受験勉強をスタートさせました。高校3年生になる直前のことでした。

ビジョンが見えない暗闇と、点数が伸びない苦悩

高校3年生の1年間は、私の人生の中で最も精神的にきつい時期でした。 何がきつかったかというと、勉強の量が多いことよりも、「1年後の自分の姿が全く想像できない」という恐怖感です。

中学生から高校1年生、2年生くらいまでは、「来年は高校生になって、こんな生活をしているだろうな」「3年後は受験生だな」というように、自分の未来のビジョンがある程度はっきりと見えていました。 しかし、高校3年生になって本格的な受験勉強に突入すると、そのビジョンが突然真っ白になってしまったのです。 「来年の春、自分はどこかの大学の医学部に通って笑っているのだろうか。それとも、すべてに落ちて予備校の自習室で下を向いているのだろうか。」 どちらに転ぶか全く分からないという不確実性が、私の心を大きくすり減らしました。

さらに苦しかったのは、勉強しても勉強しても、模試の点数が思うように伸びなかったことです。 浪人生が合流してくる高校3年生の模試では、かつて75あった偏差値は見る影もなく下がり、65や、時には70を切ることも珍しくありませんでした。 東進のシステムを使って過去問演習を繰り返しても、大分大学医学部の合格者平均点という「黒いライン」に、私の成績はいつも届かず、下の方を這いつくばっていました。

一般的に、「医学部に現役合格するためには、高校2年生の段階で基礎を完成させ、高校3年生はひたすら過去問演習で高得点をキープしなければならない」と言われます。 私は完全にそのレールから外れてしまっていました。 終わりの見えないトンネルの中を、ただひたすらに歩き続けるような、本当に苦しい毎日でした。

ギリギリの逆転劇と、大分大学での最高の出会い

共通テスト本番での爆発と、推薦へのシフト

「とはいえ」、私は諦めませんでした。 東進のカリキュラムを信じ、休みの日は朝から晩まで自習室にこもって、ひたすらに弱点をつぶす作業を続けました。 そして迎えた共通テスト本番。私は900点満点中、766点という点数を叩き出すことができました。 パーセンテージにして85.1%。 ずっと合格者平均のラインの下を這いつくばっていた私が、最後の最後、本番のギリギリのタイミングで、大分大学の合格ラインに追いつくことができたのです。

そして、私はここで一般入試だけでなく、大分大学医学部の「総合型選抜」にも挑戦するという戦略をとりました。 結果として、この推薦入試の枠で合格をいただくことができ、私の長く苦しい受験生活は終わりを告げました。

九州大学ではなく、大分大学でよかった理由

私は当初、九州大学の医学部を目指していました。 もしそのまま九州大学を受験して合格していたら、私の人生はどうなっていたでしょうか。 もちろん、旧帝大という素晴らしい環境で多くのことを学べたと思います。 しかし、私は今、心から「大分大学に来て本当に良かった」と断言することができます。 なぜなら、大分大学で、私の人生を変えるような素晴らしい出会いがあったからです。

大学に入学して、私は「ポットライン」という救命サークルに入部しました。 元々救急医療に興味があったわけではないのですが、入ってみたらこれがとてつもなく面白かったのです。 このサークルは、一次救命処置(心臓マッサージやAEDの使い方など)を学んだり、一般の人に向けてワークショップを開いたりする活動をしています。

そして何より素晴らしいのが、全国の大学の救命サークルとの強いつながりがあることです。 九州大学や長崎大学、熊本大学、宮崎大学といった九州内の医学部生はもちろんのこと、先日などはサークルの活動で北海道に行ったり、東京に行ったりもしました。今度は福島県にも行く予定です。 医学部という狭いキャンパスの中に閉じこもるのではなく、全国各地の医学部生と交流し、一緒に学び、時にはお酒を飲んで語り合う。 この活動を通して、私の世界は一気に広がり、多様な価値観に触れることができました。

テスト前は地獄。でも、常に「楽しい」を更新中

サークルの先輩も、同級生も、みんな本当に個性的で熱い思いを持った人ばかりです。 特に大分や九州の学生は、人柄が良くて面白い人が多いように感じます。 もし別の大学に行って、別のサークルに入っていたら、北海道の医学生と友達になることも、こんなに充実した日々を送ることもなかったでしょう。

世間ではよく「医学部に入ったら、勉強ばかりで遊ぶ暇なんてない」と言われます。 この噂について、現役医学生としてリアルなところをお答えしますと、「半分本当で、半分嘘」です。

確かに、進級テストの前の期間は、冗談抜きで「地獄」です。 高校生の時の受験勉強の比ではないくらい、膨大な量の医学知識を頭に詰め込まなければなりません。 プレッシャーで胃が痛くなることもありますし、「受験生の頃の方がまだ楽だったかもしれない」と思う瞬間すらあります。

しかし、その地獄のようなテスト期間を乗り越えた先には、最高の自由と楽しさが待っています。 全国の仲間とサークル活動で熱く語り合い、旅行に行き、自分が本当にやりたい医療の勉強に打ち込む。 私の人生の幸福度グラフは、大学に入学してからずっと右肩上がりです。常に「今が一番楽しい」を更新し続けているような感覚です。 だから、中高生の皆さんは、「医学部は勉強漬けの暗い場所だ」なんて絶対に思わないでください。そこには、あなたの想像をはるかに超えるエキサイティングな毎日が待っているのです。

終わりに:受験の苦しみは、最高の思い出に変わる

今回は、カブトムシを追いかけていた幼少期から、中学受験、高校での中だるみとゲーム生活、そして先が見えない高3の恐怖を乗り越え、大分大学の救命サークルで全国を飛び回る充実した現在に至るまで、私のリアルな医学部受験と大学生活のストーリーをたっぷりと語らせていただきました。

読者の皆さんが今抱いている「勉強のモチベーションが上がらない」「医学部に入ってもつまらないのではないか」という不安は、私が高校時代に抱えていた迷いや、受験期に感じていた暗闇と全く同じものです。

「というわけで」、今日お話ししたように、医学部を目指すからといって、幼い頃から完璧なロボットのように勉強し続ける必要はありません。 時には中だるみをしてゲームをしてしまっても、そこから自分の置かれた状況を客観的に見つめ直し、最後まできっちりと追い上げることができれば、必ず道は開けます。 そして、地方の医学部だからといって悲観することは全くありません。そこには、その土地ならではの素晴らしい人たちとの出会いと、全国に繋がる熱いネットワークが必ず用意されています。

最後に、高校生や受験生の皆さんに一つだけ伝えたいことがあります。 受験勉強というのは、真っ只中にいる時は本当に辛くて、逃げ出したくなるほどしんどいものです。 でも、それを全力で乗り越えた先には、言葉では言い表せないほどの大きな喜びと、楽しい大学生活が待っています。 なんなら、あれだけ苦しかった受験生の時の経験すらも、大学に入ってから友達と「あの時マジできつかったよな」と笑い合える、最高の「思い出」に変わります。

だからこそ、今の苦しみをただの苦痛だと思わず、「未来の笑い話を作っているんだ」と思って、少しでも楽しみながら受験勉強を乗り切ってほしいと心から願っています。

最後になりますが、現在、私がインタビューを受けている動画の配信元である「地方医学部オンライン塾 ローカルメディ(白谷塾発)」から、医学科合格を目指す受験生の皆さんへ大切なお知らせがあります。

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この記事を書いた人

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