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【10年ぶりの再受験で合格】産業医科大学生が教える社会人の仕事ルーティンを応用した合格スケジュール

こんにちは!

全国の医学部受験生をサポートする地方医学部オンライン塾、ローカルメディの産業医科大学医学部医学科のまっちです!

私は決して、最初から医学部合格を約束されていたような優秀なエリートではありません。現役の時は京都大学の農学部に落ち、一浪の時も九州大学の農学部に落ちて、後期日程で合格したある国立大学の農学部に進学しました。そこで4年間を過ごして卒業し、その後は普通に会社員として4年間、社会人として会社で働いていました。しかし、2022年の1月に一念発起して仕事を辞め、そこから約10年ぶりとなる受験勉強をゼロからスタートさせました。そして、わずか1年の勉強期間を経て、2023年の春に現在の産業医科大学医学部医学科への合格を果たすことができました。

今回は、一度社会に出てから医学部を再受験しようと考えている社会人の皆さんや、思うように模試の判定が伸びずに自習室で頭を抱えている浪人生、受験生の皆さんのために、私の等身大の泥臭い受験体験をありのままにお話ししたいと考えています。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

今日は、大きく分けて2つの非常に大切で、かつ今まさに皆さんが不安に感じているであろうテーマについて詳しく書いていきたいと考えています。

前半は、私が10年前の現役・一浪時代に、恵まれた環境にいながらなぜ失敗してしまったのかというお話と、社会人を経験したからこそ身についた「仕事のルーティン」を応用した、1年で医学部に合格するための究極の意識改革と学習計画についてです。

後半は、私が実際に受験勉強を進める中で直面した「模試の判定の乱高下」と、そこから生じた凄まじいメンタルの葛藤、そして宅浪という過酷な孤独の中でどのように心を整えて最後まで走り抜いたのかという、メンタル維持の極意についてです。

一般的に、医学部受験を勝ち抜くような人は、現役時代から素晴らしい成績を維持し、予備校の授業を完璧に吸収して最短距離で合格していくものだと思われがちです。 また、模試の判定についても、「合格するためには、すべての模試で常にA判定やB判定を維持し続けなければならない」といった、完璧主義的なアドバイスが世間には溢れています。

しかし、私はそれらの一般的な考え方や完璧さを求めるアドバイスに対して、自分自身が10年ぶりに漢字ドリルから受験勉強を再開し、模試の判定がA判定からC判定へと転落していく恐怖を味わいながらも合格を掴み取ったからこそ、少しだけ疑問と新しい視点を持っています。

本当に、一度社会に出てブランクがある人は、医学部受験において不利なのでしょうか。そして、模試の判定が下がってしまったら、その時点で合格の夢は諦めなければならないのでしょうか。

今、一度は社会に出たものの、どうしても医師になる夢を諦めきれずに参考書を開き、自分の忘却のひどさに愕然として深いため息をついている社会人再受験生の皆さん。 さらに、毎日のように返ってくる模試の判定結果を見つめながら、自分の成績が周囲に比べて伸び悩んでいることに焦り、見えない未来への恐怖に不安を抱いている浪人生や受験生の皆さん。

よし、今日も1日頑張るぞと机に向かったものの、10年ぶりの数学の教科書が全く理解できず、自分の記憶力の衰えに急に焦ってしまい、ペンを握る手が止まってしまうことはありませんか。

また、模試の判定が返ってくるたびに、判定のアルファベットが下がっていくのを見て、「自分はなんて頭が悪いダメな人間なのだろう」と、一人で暗い自習室で孤独な悩みを抱えていませんか。

そんな風に思い悩んでしまうこと、ありますよね。そのお気持ち、私には本当に痛いほどよく分かります。私も勉強を始めた当初は、10年前の知識が綺麗さっぱり消え去っていて、自分の名前すら漢字で書くのに一瞬戸惑うほどのブランクがあり、さらに模試の判定がどんどん下がっていく中で、宅浪という相談相手が誰もいない孤独な部屋で一人で頭を抱え、葛藤し続けていたからです。

しかし、私が悩み抜いた末に産業医科大学医学科に合格し、実際に医学生として充実した日々を送っている今を振り返ってみると、社会人としての経験は受験勉強において最大の武器になります。そして、模試の判定に一喜一憂せず、良くても過信せず、悪くても落ち込みすぎないという淡々としたアスリートのようなマインドを維持することこそが、結果として合格という最高のゴールを掴み取るための最も確実な近道であるという真実が見えてきます。

今日は、皆さんが心の中にぼんやりと抱えている、ブランクに対する不安や、模試の判定に対する一喜一憂という深い悩みに優しく寄り添いながら、読んだ後に心がスッと軽くなり、明日からの勉強が少しでも前向きになるような新しい視点を、私のリアルな体験を交えて丁寧にお話しさせていただきます。


目次

第一章 10年前の贅沢な失敗と、自学自習への劇的な意識改革

1 大手の授業や個別指導に囲まれながら、全く主体性のなかった暗黒の時代でした

まずは、私が10年前の現役時代、そして一浪時代に送っていた、今思うと本当に恥ずかしく、そして大きな教訓となった受験生活についてお話しさせてください。

当時の私は、自分で言うのも大変おこがましいのですが、親に本当にたくさんのお金を出してもらい、受験生としてはこれ以上ないほど恵まれた贅沢な環境で勉強をさせてもらっていました。 大手の予備校に通い、テレビのCMで見るような有名な先生方の集団授業を受け、さらに個別指導の最高峰と呼ばれる「名門会」という塾で、一対一のつきっきりのマンツーマン指導まで受けていたのです。 「これだけの環境が揃っているのだから、自分は絶対に京都大学や九州大学の農学部に合格できるはずだ」 と、周囲のサポートの素晴らしさに、ただ甘えて乗っかっているだけの状態でした。

しかし、その当時の私の心の内には、致命的な欠陥がありました。 それは、勉強に対する「主体性」や「やる気」が、本当に1ミリも存在していなかったということです。

志だけは人一倍高く、「京都大学に行きたい」「九州大学に行きたい」と口では大きな夢を語っていました。 しかし、いざ日々の勉強に向き合うとなると、自分で進んでペンを握り、頭に汗をかきながら問題を解くという、一番苦しくて大切な作業を、私は巧妙に避けて通り続けていたのです。

英語と化学だけは、自分が個人的に好きな科目だったため、自発的に単語を覚えたり参考書を開いたりする習慣が少しだけありました。 しかし、それ以外の苦手な科目に関しては、予備校の授業をただ座ってぼーっと受け、先生が黒板に書く綺麗な解説を写すだけで、 「よし、今日も良い授業を聞いたから、頭が良くなったぞ」 と、分かった気になって自己満足していただけだったのです。

その結果、私の現役時代と一浪時代のセンター試験の最高点数は、合計でわずか「78パーセント」に留まりました。 この点数では、医学部合格なんて、夢のまた夢というほど遠いレベルの成績でした。 素晴らしい環境や質の高い授業を親に用意してもらっても、自分自身が当事者として主体的にお尻を動かして勉強に立ち向かわなければ、成績は1ミリも伸びないのだという冷酷な現実を、当時の私は全く理解できていなかったのです。

2 先生の華麗な解答を見るだけで終わる、集団授業の限界に気づきました

そこから私は大学を卒業し、社会に出て4年間働く中で、様々な経験を積みました。そして、どうしても医療の世界への想いが消えず、2022年の1月に、10年ぶりとなる受験勉強を再開することを決意いたしました。

この再受験のスタートラインに立った時、私は過去の失敗から、非常に重要な「意識改革」を行いました。 それは、 「大手の予備校に行って、先生の華麗な授業を受けるのは、もう一切やめにしよう」 という、これまでの当たり前を根底から見つめ直す決断だったのです。

私たちは、予備校のパンフレットに載っている「神講師の魔法のような授業」というフレーズを見ると、 「あの授業を受ければ、難しい数学や物理の問題が、一瞬で解けるようになるかもしれない」 と、淡い期待を抱いてしまいますよね。

しかし、私は10年前の自分の失敗を振り返ったとき、その考え方に潜む大きな罠に気づきました。 予備校の先生が、教壇の上でサラサラとスマートに、最もシンプルで美しい解答を披露するのを見て、生徒側は、 「わあ、すごい!なるほど、そういう風に解けばいいのか!」 と、大きな感動を覚えます。 しかし、その感動は、自分がその解法を身につけたこととは、全く別の問題なのです。

授業が終わって、自習室の自分のブースに戻り、真っ白な問題用紙と一人で向き合った瞬間、 「あれ、さっき授業で先生が説明していた問題なのに、1行目すら数式が書き出せないぞ」 という、冷たいギャップに直面して頭を抱えた経験は、誰にでも必ずあるはずです。

授業を見ることは、野球で言えば、プロのバッターの美しいホームランの映像を、特等席で眺めているのと同じことです。 どれだけその映像を何百時間見つめ続けたとしても、あなた自身が実際にバットを握り、泥だらけになって素振りを何千回も繰り返さなければ、あなたが打席に立ったときにヒットを打てるようには、絶対に、なり得ないのですよ。

私は、この「見るだけ」の受け身の勉強こそが、自分の成績を10年前に完全にストップさせていた真の犯人であると気づきました。 だからこそ、今回の1年間という短い挑戦においては、自分が最も避けていた、しかし最も合理的で正しい勉強法である「自学自習」に、すべての命運を預けることに決めたのです。 誰かの派手な授業を頼るのではなく、自分が主役となって、静かな部屋でコツコツと参考書を読み、自分の手で問題集を1問ずつ解き進めていくこと。 この泥臭い自学自習のプロセスこそが、脳を本当に活性化させ、10年のブランクを最も速く埋めるための、唯一の最強の武器になるのだと、私は確信いたしました。


第二章 社会人の「9時5時ルール」を勉強にそのまま応用した、私の合格時間計画

1 仕事中にスマホを触れない単純さを、そのまま自習室に持ち込みました

では、仕事を辞めて、誰からの強制力もないフリーターのような宅浪の状態で、私はどのようにして毎日10時間以上の勉強を、1年間も休まずに続けることができたのでしょうか。

その秘密は、私が社会人として過ごした4年間の生活の中に、しっかりと刻み込まれていた「仕事のルーティン」の応用にありました。

世間一般の社会人は、毎朝決まった時間に出社し、9時から夕方の17時半や18時まで、定時で当たり前のように働き続けています。 そして、当然のことながら、仕事中に私物のスマートフォンを机の上に置いてSNSを眺めたり、お気に入りの音楽を聴きながらダラダラとエクセルを入力したりすることは、社会人としての常識として、絶対に許されませんよね。 周りの目を気にしながら、ひたすらパソコンの画面に向かって、与えられたタスクを淡々と処理していくのが、毎日の仕事の当たり前の光景です。

私は、この「9時5時(実際には残業を加えて9時20時)」という社会人の身体的な拘束時間を、そのまま自分の受験勉強のルールとして、完全にスライドさせて移植したのです。

「自分は、会社を辞めたのではない。受験勉強という、新しいプロジェクトをこなす『受験生株式会社』に転職したのだ」

というように、マインドセットを完全に切り替えました。 朝9時になったら、自分の部屋の自習机という名の「オフィス」に出勤し、スマホの電源を完全に切って引き出しの奥底に仕舞い込み、そこからは一切触らない。 ヘッドホンから音楽を流すこともやめ、無音の空間の中で、目の前の参考書という仕事の書類に、全神経を集中させて向き合い続ける。 そして、1時間のランチ休憩を挟み、午後も夕方の17時や18時まで、定時業務のように勉強を淡々とこなしていく。 さらにそこから、社会人の「残業」と同じように、夜20時や21時まで、その日に終わらなかったタスクを少しずつ処理していくという生活を、毎日の、絶対に変えない当たり前のルールとして徹底したのです。

この、感情を一切挟まない「お仕事としての勉強システム」を構築した結果、私は自室にいながらにして、予備校の厳しい管理クラスにいる以上の、圧倒的な集中力と勉強時間を、毎日安定して手に入れることができました。 「今日はやる気が出ないな」とか、「明日は少し遅く起きようかな」といった、受験生の心に甘く忍び寄るささやきを、社会人として身についた「時間を守る、ルールを守る」という頑固な義務感が、綺麗さっぱりとシャットアウトしてくれたのですよ。 社会人を経て再受験に挑む皆さんは、自分の年齢やブランクを、不安に感じる必要は本当にありません。 あなたが社会で身につけてきた、その規則正しい生活習慣と、仕事に対するタスク処理能力こそが、現役の学生たちには絶対に真似できない、あなたの受験における最も鋭く、最大の武器になるのですから。

2 「ガンガンいこうぜ」を卒業し、毎日8問を確実にこなす定量的で現実的なタスク管理でした

また、時間術だけでなく、日々の具体的な勉強の進め方に関しても、私は社会人ならではの「プロジェクトマネジメント」の手法を取り入れていました。

多くの受験生は、新しい問題集を買ってくると、 「よし!この本を、やる気があるうちに、毎日限界までガンガン解いて、1週間で終わらせるぞ!」 と、ドラクエの作戦で言えば「ガンガンいこうぜ」のような、気合十分の大雑把な計画を立ててスタートしがちです。 しかし、このような無理なペースは、3日も経てば身体的な疲労と脳の飽きによって、急激にペースダウンしてしまい、結局その参考書は途中で投げ出されて本棚の肥やしになってしまう、という最悪の結果を招きます。

私は、そのような失敗を避けるために、勉強を「徹底的に定量化された、日々のルーティン業務」にまで分解して管理いたしました。

例えば、新しい数学の参考書を1冊仕上げるというタスクがあったとします。 私は、その本の総問題数を数え、 「毎日、確実に8問だけを、2時間の時間制限を設けて、丁寧に解き進める」 という、非常にシンプルで、かつ絶対に毎日こなせる具体的な計画を立てました。

毎日8問ずつ進めれば、2週間(14日間)で、合計「112問」の問題をクリアすることができます。 これにより、少し厚めの参考書であっても、わずか2週間という短いスパンで、確実に1周させることができるのですよ。

「2週間で1周できるのであれば、本番までの残りの月数を考えれば、この本を合計で7周させることができるな」 というように、先の見通しが非常にクリアになり、日々の勉強に対する漠然とした焦りが、一瞬にして消え去っていきました。

毎日8問を解き終わったら、その日のその科目の勉強は、たとえどれだけやる気が残っていても、そこでキッパリと終了にします。 残った時間は、他の苦手な科目の補強や、明日のための十分な睡眠時間に、有意義に充てるのです。 この「毎日、決まった分量だけを、決まったペースで、淡々とこなし続ける」という、仕事のような定量的なタスク管理こそが、私の脳に余計なストレスを与えることなく、10年のブランクを驚くほどスピーディーに埋めて、合格へと導いてくれた本物の計画術だったのです。


第三章 漢字ドリルから始まった、熊本大学医学部医学科A判定の衝撃

1 小学生用のドリルを本棚に並べ、鉛筆を握る感覚から取り戻しました

ここで、私が2022年の1月に、10年ぶりの受験勉強を始めたまさにその瞬間の、非常にリアルなどん底の状況についてお話しさせてください。

仕事を辞め、よし勉強を始めるぞと意気込んで、最初に小手調べとして共通テストの過去問を自宅で時間を計って解いてみました。 その結果は、本当に、言葉を失うほど惨愺たるものでした。

英語だけは、社会人時代にも少し触れる機会があったため、かろうじて8割程度の点数をキープすることができていました。 しかし、それ以外の国語、数学、理科などのすべての科目は、本当に驚くほど綺麗さっぱりと頭の中から消え去っており、合計の得点率は、わずか「5割」しかありませんでした。

それどころか、日頃からパソコンのキーボードばかりを叩いて仕事をして、自分の手で文字を書くということを4年間も怠っていた私の右手は、ペンを握る感覚すら完全に忘れていました。 驚くべきことに、簡単な日常の漢字すらまともに書けなくなっていることに気づき、自分の頭の衰えに、本当に震えるほどのショックを受けました。

「このままでは、医学部受験どころか、日常生活すら怪しいのではないか」

私は、自分のあまりの忘れっぷりに、プライドを完全にへし折られました。 しかし、そこで腐ることなく、私はすぐに近くの本屋さんへと走り、 「小学生用の、一番基礎的な漢字練習ドリル」 を買ってきて、それを自分の本棚に並べました。 そして、毎朝の自習の最初の15分間、子供のように鉛筆をギュッと握りしめて、漢字を1文字ずつ原稿用紙に書く練習から、私の医学部再受験への挑戦はスタートしたのです。

数学に関しても、「初めから始める数学」という、高校1年生が最初に開くような、最も優しくて基礎的な参考書を買い揃えました。 化学や物理も、イラストがたくさん描かれた「宇宙一わかりやすい化学・物理」という、本当に初歩の初歩から解説してくれている教材を開きました。 「医学部を目指す人間が、こんな基礎的な本を読んでいるなんて恥ずかしい」 というプライドは、最初の5割という数字を見た瞬間に、綺麗にゴミ箱へと捨て去っていました。 漢字ドリルから、教科書の1ページ目から、一歩一歩、泥を這うようにして土台を積み上げていくこと。 この徹底的な「謙虚さ」と、自分の現状に対する冷静な現状認識こそが、結果としてその後の私の学力を、爆発的に引き上げていく強固なコンクリートの土台になってくれたのですよ。

2 5月のマーク模試で、まさかの熊本大学医学部医学科「A判定」の文字が輝いていました

そうして、1月からの約4ヶ月間、誰の目も気にせずに自分の部屋でひたすら漢字を書き、基礎の参考書を何周も読み込み、毎日8問のタスクを淡々とこなし続けた結果、私の学力は、自分でも信じられないほどの急成長を遂げていきました。

5月になり、私は再受験を開始してから、初めての腕試しとして、河合塾が主催する「第1回マーク模試」と記述模試を、自宅で受験いたしました。

「10年のブランクがある自分が、今の段階で、現役生や予備校で毎日授業を受けているプロの浪人生相手に、一体どれだけ通用するのだろうか」 不安と緊張で胸をバクバクさせながら解答用紙を送り、数週間後に郵送で返ってきた模試の成績表を開いたとき、私は自分の目を疑いました。

なんと、共通テスト形式のマーク模試の合計得点率が、一気に「7割」にまで跳ね上がっていたのです。 「そうか、あんなに最初は何も覚えていなかったけれど、教科書レベルの基礎を徹底的に丁寧にやり込んで、間違いを1つずつ潰していけば、模試の7割という点数は、数ヶ月でも十分に届く数字なのだ」 と、自分の選んだ自学自習の方向性が、100パーセント正しかったことを確信いたしました。

そして、さらに私の心臓を激しく揺さぶったのは、その成績表の裏面に印刷されていた、志望校の判定の欄でした。

私がなんとなく、 「憧れの、昔一度行ってみたかった綺麗な熊本大学の医学部に、いつか届いたらいいな」 という、半分夢のような、半分冷やかしのような気持ちで書いておいた「熊本大学医学部医学科」の判定結果のところに、 「A判定」 という、最も輝かしい、信じられないアルファベットが、くっきりと印字されていたのですよ。

この時の衝撃と喜びは、本当に今でも目を閉じれば鮮明に思い出すことができます。 実を言いますと、再受験を始めた当初の私は、 「自分なんかが、あの果てしなく高い医学部に受かるはずがない。周りの人に『医学部を目指して仕事を辞めたんだ』なんて言うのは恥ずかしいから、絶対に秘密にしておこう」 と思っていました。 ですから、実家から通うことができる地元の薬学部に、特待生の免除枠(エース枠)で滑り込めたら最高だな、くらいの、本当にとても低いモチベーションと期待値で、毎日の勉強を進めていたのです。

しかし、この「A判定」という文字を実際に目の当たりにした瞬間、私の胸の奥に眠っていた、10年前のあの日の悔しさと、医師という職業への熱い憧れの火が、一瞬にして爆発するように再点火いたしました。

「もしかして、自分は本当に、お医者さんになれるのではないか。あの高い医学部の壁を、この手で突き破ることができるのではないか」

この、初めて手にした小さな成功体験としての「A判定」の文字こそが、私を「とりあえず薬学部」という甘えの道から、「何があっても絶対に、産業医科大、そして国公立の医学部医学科に合格して見せるぞ!」という、本物の受験生としての覚悟へと、劇的に引き上げてくれた運命のターニングポイントになったのです。


第四章 判定の乱高下と、宅浪の孤独を乗り越えたメンタルの整え方

1 最初の山を越えた後に訪れた、C判定への転落という暗闇の絶望でした

しかし、医学部受験の神様は、そこまで私を簡単には、春の合格へと連れて行ってはくれませんでした。

最初の5月の模試でA判定を取って、有頂天になっていた私ですが、そこから夏、そして秋にかけて受けた2回目、3回目の模試において、本当に過酷な、メンタルのどん底を経験することになりました。

2回目の模試の自己採点をしたとき、私の得点率は、前回の7割から、なんと「67パーセント」へと、明確にダウンしてしまっていたのです。 さらに、3回目の模試でも、点数は「7割」付近の停滞期から、全くビクとも動かなくなってしまいました。

「なぜだ、毎日スマホも触らず、仕事と同じようにこんなに必死に勉強しているのに、どうして点数が下がっていくのだ」

その理由は、非常に冷酷な、受験の競争の仕組みにありました。 春の段階では、多くの現役生はまだ部活動を続けていたり、範囲全体の学習が終わっていなかったりしたため、ブランクがあっても基礎を素早く固めた私の点数が、相対的に高く出ていただけだったのです。 しかし、夏を過ぎ、秋が深まるにつれて、全国の優秀な現役生たちが部活を引退して死に物狂いでスパートをかけ、大手の予備校で毎日何時間も特訓してきたプロの浪人生たちが、一気に実力を伸ばしてきます。 すると、私の成績は相対的にゴロゴロと引きずり下ろされ、あの輝かしかったA判定は一瞬にして消え去り、B判定、そして「C判定」という、合格ラインから大きく引き離されたアルファベットへと、転落していってしまいました。

この時の焦りと恐怖は、本当に、精神を内側からじわじわと削っていくような、恐ろしいものでした。 私は、誰の目もない自分の部屋で、1人で黙々と参考書を解いている「宅浪」という環境でした。 周りに、「最近、成績が伸びなくて悩んでいるんだよね」と、お味噌汁を飲みながら笑い合えるようなクラスメイトは、一人も存在しませんでした。 予備校の職員室のように、「伊地知、最近頑張ってるな」と声をかけてくれる優しい先生も、私の部屋にはいません。 ただ、目の前にある、点数の下がった模試の成績表と、カレンダーの数字だけを見つめながら、 「また、10年前と同じように、自分は不合格の冷たい現実を突きつけられて、すべてを失ってしまうのではないか」 という、底知れない孤独な焦りの中に、毎日のように沈み込んで、本気でメンタルを病みかけていたのですよ。

2 「良くても過信せず、悪くても落ち込みすぎず」という、アスリートのような静かな闘志でした

この、押し潰されそうな心の暗闇を救ってくれたのも、やはり私が社会人時代に経験した、「仕事におけるトラブル処理のマインド」でした。

仕事の現場において、何か大きなミスが発生したり、予測できないトラブルが起きてプロジェクトが滞ったりしたとき。 「ああ、もうダメだ、自分はなんて能力がないんだ」 と、会社のデスクで頭を抱えてシクシクと泣いているだけでは、仕事は1ミリも前に進みませんし、周りの人たちに余計な迷惑をかけるだけですよね。 大切なのは、 「なぜ、このトラブルが発生したのか、その客観的な『原因』を冷徹に分析し、今日からできる具体的な『対策』をノートに書き出して、淡々と実行すること」 だけです。仕事において、無駄な「感情の起伏」は、トラブル解決のスピードを遅らせる最大のノイズでしかないのです。

私は、このお仕事脳を、自分の下がっていく模試の判定結果に対しても、完全に適用することに決めました。

「模試の結果なんて、自分の知性を測るテストではない。単に、自分の勉強計画のどこに『バグ(不具合)』があるかを教えてくれる、ただのデバッグツール(点検機)に過ぎないのだ」

と、冷たく割り切るようにしたのです。 それからは、模試の成績表が返ってきても、 「良くても、自分を過信しすぎない。悪くても、絶対に落ち込みすぎない」 という、まるでプロのアスリートのような、静かで、感情を極限までオフにしたマインドを徹底いたしました。

共通テストの点数がダイレクトに数字として出ると、確かに胸はズキズキと痛みます。 しかし、 「記述模試の成績が伸び悩んでいるのは、まだ共通テスト形式の対策に時間を使っていて、記述の過去問演習の比率が足りていないからだ」 「数学の点数が低いのは、この分野の公式の適用パターンを、自分の頭の引き出しから引き出す練習が不足しているからだ」 というように、感情のノイズを完全に排し、問題点をロジカルに分析することだけに集中しました。 そして、「今週は、この間違えた問題の類題を、確実に5問だけ解けるようにしよう」と、目の前のタスクに、ただ静かに、淡々と手を動かし続けました。 辛い感情に支配されそうになったら、深呼吸をして、 「感情は横に置いておこう、やるべき仕事を、今日もこなそう」 と自分に語りかけること。 このアスリートのような静かな闘志こそが、宅浪の孤独な部屋で、私の心が完全にポキリと折れてしまうのを、後ろから優しく、しかし強力に支え続けてくれた、真のメンタル維持の秘訣だったのです。

3 「記述模試はただの練習台」と完全に割り切る、過去問至上主義の視点でした

さらに、私の心をスッと軽くしてくれた、もう1つの非常に合理的な「割り切り」についてお話しします。

秋の記述模試において、私の数学の偏差値は本当に伸び悩み、良くてもB判定、時には本当に苦戦して、 「自分は記述のセンスが、やはり根本的に欠けているのではないか」 と、自信を失いそうになっていました。

しかし、ある秋の日の夜、私は志望する産業医科大学の過去問(赤本)を自分で取り寄せて、自習机の上に広げ、じっくりとページをめくってみたのです。 そして、それぞれの問題を制限時間を忘れて解いてみたとき、私はある重要な真実に気づきました。

「あれ、この実際の大学の入試問題の形式や、求めている思考力のパターンは、河合塾の記述模試の最大公約数的な問題とは、全く、根本的に別物じゃないか」

そうなのです。予備校が作成する記述模試というのは、日本全国の何万人、何十万人という、多種多様な大学を志望するすべての受験生を、平均的に、かつ画一的に評価するために作られた、極めてニュートラルで、最大公約数的なテストに過ぎません。 一方で、あなたが最終的に合格したい産業医科大学や、その他の特定の公立・私立の医学部入試には、その大学の教授陣が長年こだわり続けてきた、 「非常に独特な、特有の出題傾向や、クセの強い難易度のバランス」 が、最初からはっきりと刻み込まれているのです。

模試で良い判定が出ないからといって、あなたのその大学への合格率が、本当に1ミリもなくなってしまったわけでは、絶対にありません。 模試の判定がD判定であっても、その大学の過去問を徹底的に研究し、 「この大学でよく出る、このパターンを確実に解けるように対策を立てておけば、本番ではひっくり返して合格点をかっさらうことができる」 という、逆転のチャンスは、いつでも、誰にでも、いくらでも残されているのですよ。

私は宅浪だったので、記述模試の答案を学校の先生に見せて、優しく添削してもらえるような贅沢な機会はありませんでした。 しかし、だからこそ、 「記述模試は、ただの時間配分のリハーサル、見たことのない問題に出会ったときにパニックにならないための、単なる練習台に過ぎない」 と、完全に割り切って無視することができました。 模試の順位や判定という、他人が作った物差しに、自分の貴重なメンタルを1ミリも明け渡してはいけません。 あなたの行くべきゴールは、模試の成績表の上の数字ではなく、本番の入試会場で合格点を叩き出すこと、ただそれだけなのですから。


第五章 人生に遅すぎる挑戦はない、10年のブランクを本物の自信に変える生存戦略

1 漢字ドリルから産業医科大学合格へ。歩みを止めなければ、夢は必ず叶います

私は、受験勉強を始めた当初は、10年のブランクによって漢字すらまともに書けず、共通テストも5割からのスタートという、本当に絶望的なレベルからの再開でした。

それでも、自分を卑下することなく、小学生用のドリルを広げ、基礎的な「初めから始める」参考書をボロボロになるまで読み込み、毎日8問のタスクを淡々とこなし、模試の判定がC判定に下がっても、「良くても過信せず、悪くても落ち込みすぎず」というアスリートのマインドを守り続けました。 その結果、わずか1年の勉強で、偏差値を限界まで引き上げ、現在は産業医科大学医学部医学科という、これ以上ないほど素晴らしい最高の環境に合格し、医師になるための勉強を毎日エキサイティングに楽しむことができています。

あなたが今、何歳であっても、どのようなキャリアを歩んできていても、そんなことは医学部合格において、本当に、1ミリもハンデにはなり得ません。

むしろ、あなたが社会の中で、理不尽な仕事に耐え、時間を守り、責任を持ってタスクを処理してきたその「大人の経験」や「社会人の常識」こそが、現役の優秀な受験生たちが逆立ちしても手に入れることのできない、あなたの受験勉強を圧倒的に強く、安定して持続させてくれる最強のセーフティネット(安全網)になるのですよ。 人生に、挑戦を始めるのに遅すぎる瞬間なんて、この世界には一つも存在しないのです。

終わりに 等身大の自分を信じて、目の前の8問を今日から解き始めましょう

受験生の皆さん、浪人生の皆さん、そしてもう一度夢に向かって本気で走り出している社会人再受験生の皆さん。 どうか、「最初から完璧な自分」になろうとして、自分を責めて、苦しまないでください。

模試の判定が下がってC判定になり、夜の自習室で一人で見えない未来に怯えて涙がこぼれそうになること、ありますよね。そのお気持ち、かつて漢字ドリルを広げて自分のブランクに絶望していた私には、本当に痛いほどよく分かります。

しかし、今日お話ししたように、完璧な人間なんて、この世界には最初から一人も存在しないのですよ。 勉強中にやる気が出ない日は、感情を完全にオフにして「仕事と同じルール」で目の前の参考書を2時間だけ開き、淡々と8問の問題を片付ければ、あなたの脳の仕組みはいつでも、確実に合格へのステップを1歩ずつ上っていきます。

今、皆さんが机の上で、将来の不安を堪えながら必死にペンを動かしているその1分1秒の歩みは、決してあなたを裏切りません。 その地道な、等身大の努力の積み重ねこそが、将来、様々な痛みを抱えてやってくる患者さんやそのご家族の不安に優しく寄り添い、彼らを本当の意味で心から救ってあげられる、温かくて信頼される素晴らしいお医者さんになるための、何よりの強固な土台になるのです。

長く、時に自分の限界を突きつけられる過酷な受験ロード。 どうか、自分自身の秘めた無限の可能性と、あなたがこれまでに培ってきた大人の強さを信じて、目の前の1ページに、全ての力を注ぎ込んでください。 すべての葛藤を乗り越えたあなたが、春に最高の笑顔で医学部の門をくぐり、私たちと一緒に素晴らしい医療の世界へと歩み出せる日を、心より楽しみにお待ちしております。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。 一緒に頑張りましょう!

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